会津はもとより県内外の人々から「いわきさま」と親しまれている社。十世紀に成立した全国の格式ある神社の一覧「延喜式神名帳」に耶麻郡一座としてあり、会津地方の伊佐須美神社(会津美里町)、蚕養国神社(会津若松市)とともに延喜式内社として信仰を集めた。 磐椅神社の起こりは、応神天皇の御代(弥生時代)。武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅山の頂上に鎭座された。磐椅山とは、現在の磐梯山を指す。磐梯山は明治21(西暦1888)年の大爆発で変形したが、以前の山容は整い、山頂は高く天に向かってそびえ立ち、石(磐)の梯(はしご)のように見え、まさしく「いわはし」の山だった。その後、聖武天皇の御代(奈良時代)、見祢山南麓の現在地に遷座し、相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭りました。これらの神々は縁結び、豊作祈願、方除開運など全ての開発開運の神様として名高く古来有名です。 磐椅神社を信仰したのは徳川二代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主の保科正之。会津藩の礎をつくり、徳川四代将軍家綱の補佐役を務めた名君。その正之公は神道に深い関心を寄せ、神社の保護に力を注いだ。万治2(西暦1659)年、猪苗代湖が一望できる磐梯山のふもと見弥山にある当社に参詣して神事を行った。正之公は「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」との遺言書を残し、末社として当社西側に 土津大明神(土津神社)が造営された。正之公は奥の院の墓所に眠っている。 磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として人々の信仰のよりどころで、磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社である。磐椅明神、峰明神として古々より東北の文化的、精神的な一大支柱として今日にいたっている。
日時 | 年中行事 | 内容 |
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1月1日 | 歳旦祭 | |
1月25日 | 初天神 | 入試合格祈願 |
2月3日 | 節分祭 | 厄除け開運祈願 |
2月25日 | 本天神 | 学業祈願 |
4月下旬~5月中旬 | 大鹿桜祭 | 桜開花期間中 |
5月14、15日 | 春祭 | |
6月30日 | 水無月大祓い | 健康長寿 |
10月 体育の日 | 例大祭 | 磐椅神社の大祭 |
12月25日 | 納天神 | 合格祈願 |
12月31日 | 年越大祓い | 健康長寿 |
年中 | 特別祈願 | 家内安全、商売繁盛、 交通安全、初宮参りなど |
毎月10日 | 月次祭 | |
毎日 | 御日供祭 |