磐椅神社(いわはしじんじゃ)

福島県猪苗代町にある磐椅(いわはし)神社は、会津藩祖 保科正之が信仰した延喜式内勅祀社正一位、会津総産土神の社。会津五桜の一つ「大鹿桜」、鳥居杉に根付く「えんむすび桜」、霊水「宝の水」などがあります。


〒969-3102 福島県耶麻郡猪苗代町字西峰6199 TEL・FAX0242-62-4109 宮司 伊東政則
磐椅神社とは
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御神体

御祭神
 大山衹神(おおやまずみのかみ)埴山姫命(はにやまひめのみこと)
相殿
 木花佐久夜毘賣命(このはなさくやびめのみこと)・磐長姫命(いわながひめのみこと)
 品陀和氣命(ほんだわけのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)


御由緒


 会津はもとより県内外の人々から「いわきさま」と親しまれている社。十世紀に成立した全国の格式ある神社の一覧「延喜式神名帳」に耶麻郡一座としてあり、会津地方の伊佐須美神社(会津美里町)、蚕養国神社(会津若松市)とともに延喜式内社として信仰を集めた。
 磐椅神社の起こりは、応神天皇の御代(弥生時代)。武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅山の頂上に鎭座された。磐椅山とは、現在の磐梯山を指す。磐梯山は明治21(西暦1888)年の大爆発で変形したが、以前の山容は整い、山頂は高く天に向かってそびえ立ち、石(磐)の梯(はしご)のように見え、まさしく「いわはし」の山だった。その後、聖武天皇の御代(奈良時代)、見祢山南麓の現在地に遷座し、相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭りました。これらの神々は縁結び、豊作祈願、方除開運など全ての開発開運の神様として名高く古来有名です。

磐椅神社を信仰したのは徳川二代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主の保科正之。会津藩の礎をつくり、徳川四代将軍家綱の補佐役を務めた名君。その正之公は神道に深い関心を寄せ、神社の保護に力を注いだ。万治2(西暦1659)年、猪苗代湖が一望できる磐梯山のふもと見弥山にある当社に参詣して神事を行った。正之公は「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」との遺言書を残し、末社として当社西側に 土津大明神(土津神社)が造営された。正之公は奥の院の墓所に眠っている。
 磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として人々の信仰のよりどころで、磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社である。磐椅明神、峰明神として古々より東北の文化的、精神的な一大支柱として今日にいたっている。

日時 年中行事  内容
1月1日 歳旦祭  
1月25日 初天神 入試合格祈願
2月3日  節分祭 厄除け開運祈願 
2月25日 本天神 学業祈願
4月下旬~5月中旬  大鹿桜祭 桜開花期間中
5月14、15日 春祭  
6月30日 水無月大祓い 健康長寿
10月 体育の日 例大祭 磐椅神社の大祭
12月25日 納天神 合格祈願 
12月31日  年越大祓い 健康長寿 
年中  特別祈願  家内安全、商売繁盛、
交通安全、初宮参りなど 
毎月10日 月次祭   
毎日  御日供祭   

歴史

250(神功皇后摂政50)年
応神天皇の御代(弥生時代)、武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅山(現在の磐梯山)の山頂に鎮座した。
729(天平元)年8月25日
聖武天皇の御代(奈良時代)、見祢山南麓の現在地に遷座。
808(大同元)年夏
平城天皇の御代(平安時代)、磐梯山の噴火で社殿が壊れたが、813(弘仁4)年、嵯峨天皇の御代に造営される。
856(斉衝3)年正月
「陸奥国石椅神加従四位下」と文徳実録に載っている。この神号は磐椅、岩椅、石椅との表記があったが、1869(明治2)年、民政局から磐椅(いわはし)とする通達があって改めたという。
947(天暦元)年
村上天皇の御代(平安時代)、勅使の派遣があり、その時に宸翰物(天皇自筆の書)と桜樹を奉献して社殿を修復した。この時の桜樹が大鹿桜である。
1205(元久2)年
土御門天皇の御代(鎌倉時代)、猪苗代城主の三浦経連(猪苗代経連)から社領8千余町の寄進があり、順徳天皇の御代の1207(承元元)年、現在の場所に旧社殿のまま御遷座し、杉を植えてこれを鳥居杉と命名した。承久年間(1219~21)には三浦盛常が2300町を寄進した。
1288~92(正応)年間
伏見天皇の御代、藤原氏の女が天皇の威光が衰えるのを嘆き、応神天皇と神功皇后の御影を造り、神鏡金銀の弊額などを添えて、1295(永仁3)年に密使によって奉献した。
1589(天正17)年
伊達正宗による摺上原の合戦後、一時衰退した。
1661~72(寛文)年間
江戸時代に入り、会津藩主保科正之公がに社殿を造営した。1659(万治2)年、正之公が当社に参詣して没後は末社とすることを告げて神事を行う。よって当社の西側に末社として土津大明神(土津神社)が造営され、正之公は奥の院の墓所に眠る。
1743(寛保3)年閏4月12日
正一位の神階を授かった。